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理解できないことについて

記事を早く流そう企画が続いています……

あ、あらかじめ言っておくと、カードワースとは一切関係がない話です。

つまらない話なので時間がない人は先へお進みくださいませ。
端的にいって、物事の仕組みや構造を思い描けたり、良し悪しを判別し言い切ることが出来ることを、理解だと、私は捉えています。

以前、私は友人と美術館に行きました。現代アート展で、私は正直に言ってこれらの作品が一体どういうものなのかを理解することが出来ませんでした。これが好きとか、これが面白いという己の感覚は分かります。でも、その「好き」の構造が分からないのです。言葉で言えない。

そこで私は「何かガイドブックみたいなものがあればよかったのにね」と言いました。つまり、誰か、よりその世界に詳しい人が言葉を発しているのをヒントにしようと言うことです。分かりますよね? すると、友人は「芸術に教科書を持ち込むのか」と私に言いました。「自由に楽しめばいいんだよ」と。こういうことが、実はこれまで三回もありました。それぞれ別の人物です。友達だったり、もっと親しい人だったり、ただの知人だったりしました。

別の例を出します。私は洋楽が好きなんですが、NIRVANAというバンドがあって、私は洋楽を聴き始めたころにCDを買ってきて聞いたんです。初めて聞いたとき、私はあんまり好きになれなくて、戸棚の奥に仕舞ったままにしてしまいました。その後、私はハードロックが好きになって、そこからメタルやパンクなど、音楽が生み出されていった順に聞きました。そして、90年代まで来たとき、戸棚の奥にあったCDを聞いて、ぶっ飛びました。自分が変化していたんですね。

私はドストエフスキーの小説が好きです。大作家ですから、みんな好きですよね。でも、この人の小説は全部が全部オリジナルであるわけではないんです。小説の内容は間違いなくオリジナルですが、発想とか生み出される経緯などです。まあ、あんまり語り始めると長くなってしまうので、やめておきますが、よく言われるところではプーシキンやゴーゴリといった作家の影響など。

つまり何が言いたいかというと、物事が産まれるには、原因……とまでは言いませんが、それが産まれるための構造が必ずあるのです。そして、その構造は得てして肉体的であることが多いのです。その世界への馴れ……精神構造の変化によって理解に差が生まれる。自分が変化して、よりその価値を認めるようになる。そしてそのとき本当の理解が訪れる。あるいはそれは「本当の理解」ではなくてもっと先に更なる理解があるのかもしれない。これは私の経験から話をしています。何度も経験しているから、多分間違いはないだろうと思います。

さて、ここで問題があります。いいですか?

私たちの理解とか、良し悪しの判断には、多分に「自己が変化しない」という前提が含まれていませんか? 例えばあなたは「名作映画はいつの時代の人が見ても必ず感動する」と思いませんか? 名作映画を見て「感動した」と思ったとき、その感動に映画の価値判断の全てをゆだねていませんか? 

「傑作は口に出して語ることが出来ない」と思っていませんか? 私はそう思うときがあります。それが正しいと感じます。でも、それは矛盾なんです。

以上が、私が今考えている問題のおぼえがきです。私にはとても難しい問題です。

一応、分かりやすい答えが一つあるので紹介します。

「私が好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それでいい」という考えです。つまり、主観的判断に主軸を置くやり方ですね。

これへの反論は「じゃあ、あなたはその作品が、あなたが思う以上にあなたにインスピレーションを与えられる力があるかもしれないのに、それを受け取らなくていいのか」とか「好きなものについて深く考えていくことで、個々の要素を系統的につなげることが出来る。好きなもの、その感覚を言葉にすることで何か新しいものが産まれるかもしれないのに、放棄するのか」とか「作品とはそれ自体に価値があるのではなく、個々の人が勝手気ままにつけたりはずしたり出来るアクセサリーのようなものなのか」とかです。
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コメント

非公開コメント

少なからず芸術を見ることに関して、各々に動機の差というのがあるような気はしますね。
つまり美術館ではjimさんはある芸術を「理解」されたかったのでしょうが、お友達の方は「自由に楽しむ」ことを重視したと。
しかし物事というのは、厳密に考えていくととても難しいものです。
jimさんのような姿勢が後に功を奏することもあるかもしれないし、お友達の方の姿勢が後に功を奏することもあるかもしれません。
僕たちは人生を歩んでいくに当たって、直感や経験から物事にどう当たるべきかを推論していきますが、しかしそれは結局推論に過ぎず、結果は結果が起きてからでないと分かりません。しかし最初から結果が出ているものはないので、やはり推論していくしかありません。以下私の推論です。

僕もある友人のことを書きます。
彼は小説の紹介文を読むのが大嫌いなんです。しかしそれには個人的な原因があるようです。
彼はものすごく記憶力がいい人なんです。6年前にあったあることをその日付まで覚えているような人間なんです。
たぶんだからだと思うのですが、彼は小説の紹介文を読むとそれを微細に記憶してしまって、いざその小説を読む段階で、どうしてもその紹介文の牢獄から抜け出せなくなるそうです。つまり自分自身の解釈というのがまったくできなくなってしまうのだそうです。
これを僕は驚くべき才能による悲劇(笑)と呼んでいます。

一方で僕の記憶領域はかなりいい加減にできています。
僕のイメージでそれを説明するなら、一度読んだり経験したことは、そのほとんどが抽象化されてから記憶されます。
だから小説の紹介文を読んで、その後に実際にその小説を読んでも、「紹介文の牢獄」というようなものにとらわれることはほとんどありません。僕の記憶には往々にして、仕切りや壁といったようなものがありません。あまりにもいい加減なわけです。経験を言葉として記憶するのではなく、色とか臭いとか、それくらい抽象的なものとして記憶するので、記号的な牢獄が生じないんです。
だから紹介文を読んでしまっても、そこからさらに推論を推し進めたりすることが、その友人よりも得意なのだと思っています。

どうやら人それぞれ、合ったやり方があるらしい、というのが今のところの僕の考えです。

それともう一つ。
芸術というものの存在についてですが、それは確かに不変のものとしてそこに存在しているのだと思います。
しかしそれから実際に人間が感じるものは不変ではありません。相対的です。
喩えて言うなら、目の前にとても美味な食事があったとします。腹の減っているAさんにはこれがとてもすばらしいものであるように思えます。しかし満腹状態のBさんにとってはそこに価値を見いだすことはできません。
しかしその食事はその食事として、常にそこに不変に存在しているのです。しかし感じ方が人それぞれによって違う。

問題なのは、このときに料理人Cさんが存在しているということだと思います。Cさんにとって美味な料理は、それがどのように作られたかを「理解」する対象であります。つまりそこに不変に存在している真理――各種調味料と素材がどのように関係し合っているか――を彼は暴かなければいけないのです。彼は料理という不変の存在を見て、そこからやはり相対的な感覚としてそれを感じ、その感覚を通して彼の脳の中に不変なる真理を想像、再構築していかなければなりません。

こうして「料理がどのように存在しているか」という真理と「料理から得た感覚」という価値は混同され、料理は不変に存在しているのにもかかわらず、それが相対的であるとか、価値は相対的に存在しているのにもかかわらず、それが不変的であるとかといったように混乱していくのだと思います。

どうにもうまく説明することができないのですが、どうでしょうか……。

何度も投稿してすみません。
最後に個人的な欲求と近況をば。

僕は腹ぺこのAや満腹のBよりも料理人Cたることをより強く望みます。
だから僕もjimさんのように、芸術の裏にあるその出自や背景を知りたいと強く願います。

最近では、アニメ・映画監督の押井守と村上春樹の間にある同時代的つながりに興味があります。
彼らはどちらも大学紛争を経験しているので、組織というものに強いこだわりがあるように思います。つまり大学紛争はその攻撃対象が組織であり、また攻撃する当事者側も組織を形作っていたと。
村上春樹氏はカルト教団などを小説に登場させることがありますし、押井守は公安を主人公にしたアニメを作ります。いずれもそこには強いつながりを持った組織が登場します。僕の世代からするとそういう設定は斬新です。組織というものを日常的に感じることがほとんどないのです。それに似たものを感じるとすれば、システムですね。僕たちの世代は組織と個人というよりは、システムと個人なんです。もちろんシステムは、組織というものと比べればごく無機的なものです。僕からのシステムへのアプローチも、システムからの僕への反応も、すごく無機的で人の血が通ってないんです。たとえば組織が人に対して高圧的になるとき、それは態度として示されますが、システムは「状況起因処理」で片付けようとします。そこには反抗する余地もなく、従う以外に選択肢がないのです。ただし、システムを理解するのにも、前提としてそこに組織がある(あるいはあった)ということを意識しなければいけないと思います。だから村上春樹や押井守の作品にはハッとさせられることが多いのです。

他にも色々と考えることは多いです。たとえば「ギャツビーとニック」という対比は「ジャン・クリストフ」の「クリストフとオリヴィエ」に似ているとか……。 古典の読み継がれている作品には、「強く生きる人間」と「よく考える人間」の対比が多いように思います。この対比に独自の解釈、あるいは一時代的解釈をするのが社会的動物の使命だと思います。

jimさんが自分のことを書いているのに、こちらは訳の分からない比喩で済ませるというのは罪な気がしたので、自分のことを書いてみました。結果、訳の分からない文章をさらに増やしただけですが、許してください。

Re: タイトルなし

366191さん、コメントありがとうございます。

そうですね。作品にかかわるときに、見る側の『立場』や『動機』というのは重要な要素かもしれませんね。

私のことについて付け足しておくと、私は自分の感覚を別のものに置き換えないといけないという強迫観念が強い人間なんです。感動したと思ったら……「感動した」なんて言葉で思ったりしないか……うーん、そうですね。何か心に熱を感じたら、それって一体どういうことなんだと、何かに置き換えてみなければ不安なんです。そうしないと失礼だと思っているのかもしれません。

料理の例はとても分かりやすくていいですね。『立場』の違いが主観的な価値に非常に影響が出るということがよく分かります。じゃあ、これを受けて問題を挙げてみますね。あんまり長くお喋りしても仕方がないと思うので、簡潔に喋ってみます。

おいしい料理とおいしくない料理があります。きっと腹ペコの人だったら、どちらも美味いと思って食べるでしょう。そこでおいしくない料理のほうが少しばかり安かったら、そちらのほうを選ぶに違いない。

ところで、あなたがレストランのオーナーで、どちらか料理を選んで客に振舞おうか考えないといけない。そのとき、価値が分かると言い切れる何かを持っているでしょうか。それは料理修行で培った味を隅々まで味わい分ける舌かも知れませんね。その「舌」が私が言う「肉体的な理解の構造」です。

じゃあ、あなたがド素人で味の良し悪しなんて細かいところは全然分からない人だったらどうでしょうか? おいしいと自分が思えばそれでよしとして経営しますか?

また、これがレストランだったら、売り上げという形で結果が出ます。でも、たまたま店を開いた場所が腹ペコの人ばかりがいるエリアだったら? そんなことはないと言い切れるでしょうか。

これが、私が問題にしたいところなんです。……まあ、考えても仕方がないところなんでしょうけど。うーむ。

私がこんなことを言うのは、一人の人として作品を正当に評価したいという願望からです。誠実に生きていきたいとか、人生の勝者になりたいとか、失敗して惨めな思いをしたくないとか、そういう願望と同程度です。

記憶力のいい方には私はあったことがありませんが、きっと普通の人とは日々の生活で気をつけなければならない場所が違って大変でしょうね。私は作品を見たり読んだりしたとき「最初の感動」にあまり価値を置かずに、
「うん? 感動してるけど、これって本当に正当な感動か?」なんて自分を疑ってかかるものですから、解説・解題の類が作品を楽しむ邪魔になったという経験はしていません。ああ、こういうところが引き金になって記事の疑問が出てきているんでしょうね。ううむ……。

村上春樹さんの小説で組織、システムが出てくるという話は着眼点が面白いですね。私は、村上春樹さんの小説にそのような傾向が現われるのは、主人公が自らの動機で動いていないから、そういう外的な作用が必要なんじゃないかなと考えていました。村上春樹さんの主人公って「こうしないわけにはいかなかったんだー」っていう作用の外付けが激しいので、居心地よく書くためにどうしてもそうなっちゃうんじゃないかなぁと。そういうときに組織とかシステムは小説技法的に都合がよかったのではないかというのが私の考えです。

長くなってしまいました。このあたりで今日はおしまいにしますね。つまらない話に付き合ってくださってありがとうございます。
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CWシナリオ作者です。どうぞよろしく。

あまり書きたくないんですが、厄介な時代なので。
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